微熱

 微熱がつづきいているし、咳もでているので病院にいってみたら肺炎をおこしていた・・・という時もありますがなんでも無い時もあります。検査でなにもでてこない。すると、自律神経かな・・・などと言われたりします。漢方で考えるとどうでしょう。内傷発熱という言い方があります。

内傷発熱・・・内側が傷ついている為に熱が出ているという事

 実際に熱がでている事もあるし、熱っぽさを感じているだけの時もあります。風邪のあと微熱がつづいています。

「そういえば顔色が青いですね。」

「・・・・・・・」

「熱っぽさは?食欲は?」

「寒気がしたり、熱っぽくなったりしてます。口が苦くおいしく感じないし、あまり食べたくないです。」

「邪が少陽にあるようです。」

 邪在少陽とは・・・外邪(風邪)を中にいれないように門の所で、戦って追い出していたのが、とうとう玄関に上がりこんでしまった。という感じで、まだ座敷には上がりこんでない状況です。

 小柴胡湯を中心にした方剤を選びます。中に入っている柴胡は邪気を玄関から門の方に引っぱっていって追い出す役目をします。戦った結果、こっちの戦力が弱まってしまって邪が中に入ってきちゃったわけですから、中を整えて戦力の回復もはかるような処方構成になっています。

柴胡桂枝湯・柴朴湯・柴苓湯・・・これらは皆、小柴胡湯の入っている漢方薬です。

 邪気がなく微熱がつづく場合もあります。脾胃の虚による発熱を気虚の発熱といいます。この時は補中益気湯を使います。脾胃の虚(脾胃の弱りによる不足)によって熱がでているので、不足を補い温めて熱を除く・・・という方法です。

 甘温除大熱の方剤といわれています。甘いもので温めると熱がとれるなんて不思議な気がしませんか?

 李東垣という歴史上の人物がいます。発熱には外感(外邪によるもの)と内傷(身体の内側の弱りによるもの)があるとし、陰火と呼ぶ脾胃の虚による発熱を提起しました。

「元気かえりつくところなければ、陽(気)浮きて則ち条熱するなり」

 といっています。元気は原気とも書き『気の元』です。

 これは腎にある先天の精が変化して生じたもので、脾が水穀から取った後天の精によって補充されます。脾胃気虚により後天的は先天を補充できず原気はよりどころを失うという意味だと思います。だからその熱は虚火なんです。

 虚火は身体の弱りによって出る熱のことです。実火と対照的に表現します。

「風邪を引いて39度も熱がでちゃった」これは実火です。

 
 若く体力のある人が怒りっぽく、顔色も赤く、イライラしている・・・のも実火です。日焼けで真っ赤でヒリヒリ痛い・・・のも実火です。補中益気湯を使う時は脾胃の気虚による虚火です。脾胃は飲食物をこなし水穀の精微(微細な成分)として身体を滋養します。つまり気血津液を生成して五臓を滋養し潤わします。この働きがうまくできない・・・脾が虚になる為に熱が出るのが虚火です。李東垣は外感と内傷の弁別を説いていますがとても重要なことです。

 以前読んだ、チャングムの本の中にも補中益気湯はでてきていました。黄帝の病が重く、宮廷医の処方では回復しないのでチャングムが呼ばれました。宮廷医は外感とみたてていたからです。チャングムは脾胃の虚による内傷と弁証し補中益気湯加減を処方します。すると病状は日増しに回復してくるという話です。老中医の診察室という小説のなかにも李東垣の陰火とみたてて、難治性の病気がよくなる話がでてきます。

「微熱があって、めまい、だるい、動悸もするし・・・」

 血虚の微熱で内傷の発熱です。帰脾湯(錠)を飲みましょう。陰血の不足の為、陽を留めておくことができずに発熱をおこします。気血を作る源の脾を補っいながら血を養い、心を穏かにします。血虚は貧血も含む広い意味で滋養が足りない事をいいます。動悸や息切れ、微熱も貧血から来ている事もあります。貧血の人はレバー・干しぶどう ・なつめ・枸杞のみ・ひじきなど積極的にとりましょう。またヘム鉄のドリンクのアスリーブもいいです。

 その他、午後になると、あるいは夕方から夜にかけて熱がでる時は陰虚による発熱のことが多いです。陰虚とは陰が足りないということです。前にも書いたように身体の物質面は陰に属します。血や精や津液の不足(陰の不足)により、水・寒・降・内・暗・・・などの陰のもつ性質も不足し、相対的に虚の陽がでてしまいます。

 陽は気(エネルギー)で火・熱・昇・外・明・・・などの性質をもちます。陰陽のバランスがいいということはお互いに抑制しあって平衡が保たれている状態です。この陰の不足によって出た熱もまた虚火です。瀉火補腎丸(知柏地黄丸)を使います。気虚もあれば麦味参顆粒を併用します。また内傷発熱には肝経鬱熱や瘀血阻滞の発熱があります。

 黄帝内経という書物は紀元前にかかれたもので、漢方家のバイブルといえる書物です。李東垣も「内経』の「労者温之、損者温之」を根拠にし、補中益気湯は考えられたようです。このなかに病気を治すには、まず邪気の陰陽を見分け、病が内にあるか外にあるか確定すると書いてあります。

発熱1つとってみてもそれが外邪によるものか?
また原因が内にあるのか?

・・・外邪がさったのち内にのこる事もあるし・・・その見分けは重要です。熱=解熱剤ではないからです。解熱剤は現象に対して用い、漢方は病因を求め使います。

 黄帝内経は紀元前86年頃~紀元前36年くらいの間に形が整ってきたようですが、気が遠くなるほどの昔です。病と戦ってきた智恵者たちの業績のうえに今の漢方があります。

漢方=漢方薬でなく  漢方=理論です。

 理論なくして漢方を生かすことはできません。また『陰陽の平衡』は重要です。身体全体を1つの世界ととらえ平衡を保つための生活・食と共に漢方薬があります。つまる養生の中に食も漢方もあるといってもいいと思います。平衡を保つように漢方利用しなくては意味がありません。養生をして平衡を保って病気が癒える身体をもつ努力をすることが大事なのだと思います。